読書感想ブログ「一匹の犬になれ」

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舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』を読んで

※ネタバレにご注意ください

 

①舞城と芥川賞

舞城王太郎芥川賞候補に4度なり、そして4度とも落選した作家として知られている。舞城は芥川賞とは縁がないのだろう。いや、受賞には縁がなくても、ここまで来るとむしろ深い縁であるのかもしれない。「芥川賞に落選した作家」で一番有名なのは、太宰治村上春樹のどちらかだと思うが、舞城も芥川賞落選作家のなかでは相当有名どこだろう。

 

②日本で「最も発行された」ふたつの小説

そんな舞城の初芥川賞候補作は『好き好き大好き超愛してる。』だった。舞城作品のなかでも評価の高い小説だ。印象的なタイトルは、その時代流行していた『世界の中心で、愛を叫ぶ』(2001) を意識しているとの指摘もある。

存命の日本人作家のうち、確か最も発行部数の多い小説 (単行本) が『世界の中心で、愛を叫ぶ』で、それまでは『ノルウェイの森』(1987) 上巻だった。『好き好き大好き超愛してる。』が発表された2004年1月から少し経過した2004年5月、『世界の中心で、愛を叫ぶ』は日本で最も発行された小説 (単行本) になる。実際に記録を樹立するのは作品発表後だったとはいえ、舞城はこうした点について何か意識していたのだろうか。というのも、『好き好き大好き超愛してる。』と『世界の中心で、愛を叫ぶ』『ノルウェイの森』は、内容的に似ているというか、後者2作のような恋愛小説へのメタ小説として『好き好き大好き超愛してる。』は読めるので、何か意識しているのかなと思う。思ってはみるがそれ以上とくに進展はない。

 

③愛する人を失った小説家

好き好き大好き超愛してる。』は、冒頭も含めると七つの章に別れている。

 

冒頭「愛は祈りだ~」

智依子

柿緒Ⅰ

佐々木妙子

柿緒Ⅱ

ニオモ

柿緒Ⅲ

 

章のタイトルはすべて女性の名前になっている。このように、章のタイトルに人物名を用いる形式は舞城の他作品でも見られる。

それぞれの章について、ざっくりとしたあらすじを書いてみる。

 

智依子」は、謎の寄生虫AZUMAに犯された智恵子という女性が死んでいく様を、智恵子の恋人である拓也の視点から描いている。

 

佐々木妙子」は、語り手の三坂ツトムの夢をめぐる話。自分の夢の中に出てくる女の子に恋をしたツトムは、同じく夢に現れる「夢の修理屋」ミスターシスターと交流しながら、夢の女の子を追い求める。ある日、ツトムは夢に出てくる女の子が、佐々木妙子という実在の人物であることを知る。しかし、ツトムが知ったときにはすでに佐々木妙子はある男に誘拐されていた上、後に殺されていたことが判明する。ツトムの壊れた夢は、現実との関係性が曖昧になっており、夢の内容はツトムのいる現実世界に影響を及ぼしだす。ツトムは最後にミスターシスターを「夢荒らし」と名指してその顔を椅子で叩き潰す。

 

ニオモ」は、「神」に抗い戦う男女の話。この世界で「神」との戦いは男女一組で行われ、「神」と戦う男性はアダム、女性はイヴと呼ばれている。語り手の石原はアダムの1人で、ニオモは石原にとって7人目のイヴである。イヴはアダムに肋骨を1本提供し、アダムはその肋骨でイヴを操って「神」と戦う。石原と以前に組んだ6人のイヴは全員死に、ニオモもまた「神」に殺される。ニオモを愛し始めていた石原は死ぬことを望むがそれは叶わず、その後診療所にて石原は8人目のイヴが決定したことを告げられる。

 

この「智依子」「佐々木妙子」「ニオモ」の話は、明言はされていないが「柿緒Ⅰ」「」「」の主人公で小説家の安藤治が書いた創作 (小説のなかの小説) である、との解釈が一般的らしい。いずれも愛する女性が死ぬ、死に向かっていることが書かれており、治も恋人の吉村柿緒を病気で亡くしている。

柿緒の死後、治は『光』という小説を発表する。『光』発表後、その内容をめぐって、治は柿緒の弟妹たちと口論になる。治は柿緒の弟賞太に、次のように言われる。

 

「大体病院のベッドの脇であんたずっと仕事してたもんな。小説書いてよう。あんたもあの病室にいはしたけど、結局姉貴の病気からは逃げて小説の世界に逃避してたんじゃないの?俺らと一緒じゃんそしたら。それとも逃げたんじゃなくてやっぱり姉貴から小説のネタもらって書きやすかった?そう言えばあんたの小説、女の子死んでばっかだもんな。何回姉貴殺しゃ気が済むんだよ」(154ページ)

 

賞太は治の小説について、以下の点を問題視している。

 

『光』→「主人公のガールフレンドが無意識に自殺を図っているというストーリー展開」(47ページ) は、姉である柿緒の死をモデルにした上に、その死を自殺と改変している点。

 

『柿ノ樹狂華のさよなら新世界』→「柿ノ樹」が柿緒のもじりである点。主人公の柿ノ樹狂華には二人の弟がいるが、柿緒にも実際に二人の弟がいる点。そしてその柿ノ樹の姉弟が殺し合いをする点。

 

『ラリアット・ポイント9』ほか複数→女の子が死にまくる点 。

 

賞太は柿緒や自分たちをモデルにした話を書くなと治に迫る。それにたいして治は、どれもこれも柿緒の死をモデルにしているわけではない、それにどの小説のストーリーも非現実的な内容で、誰も本当にあったことだなんて思わないと反論する。この治の弁明は、「智依子」「佐々木依子」「ニオモ」のストーリーの非現実性と呼応するものがある。治の創作説にのっとれば、の話だが。

 

④百年分の手紙

恋愛で百年と言えば、夏目漱石夢十夜」(1908) の第一夜が思い返される。夢の中で、女に百年待ってくれと言われて実際待つ男の話である。

「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓のに坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」(「夢十夜」)

「柿緒Ⅱ」では、柿緒の亡くなった後、治は自分の誕生日に柿緒からの手紙が来ていること驚く。調べてみると、柿緒は治の百年分の誕生日祝いの手紙を生前書いていて、ある企業に依頼して、毎年治の誕生日の前日になると届くようにしていたのだった。百年分の手紙を書くというのはかなりの気概である。ちなみに、生前の契約で手紙は全部まとめてはもらえず、途中で治が受け取りを拒否するようになると、残りの手紙はすべて処分されてしまうのだとか。よく残酷だと言われる「夢十夜」の女と比べると、柿緒の手紙はそれほど残酷ではないのかもしれない。

 

⑤恋愛小説

好き好き大好き超愛してる。』は、愛する人の死という、美談化されやすいテーマにたいして水を差しているような気がする。もしくは一石を投じている。そのためメタ恋愛小説と称されるのだと思うが、恋愛小説論というわけでもない。単純な反駁でもない。メタ的に恋愛小説を考えながらも、恋愛小説として昇華している。

 

舞城王太郎の小説ではとくにおすすめの作品なので、未読の方は読んでいただきたいと思う。この感想ではまったく触れなかったが、『好き好き大好き超愛してる。』は「祈り」が特別なフレーズとして登場し、「愛は祈りだ」ではじまる冒頭はなかなか印象的である。

 

 愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。それぞれの願いを叶えてほしい。温かい場所で、あるいは涼しい場所で、とにかく心地よい場所で、それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく暮らしてほしい。(3ページ)

 

 

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)