舞城王太郎を読むにあたって――トム・ジョーンズ「蚊」
トム・ジョーンズ (Thom Jones) という作家をご存知だろうか。彼は元軍人でボクサーという経歴を持つアメリカ人作家で、日本では知っているかぎり四人の人間――柴田元幸、村上春樹、岸本佐知子、そして舞城王太郎――が彼の小説・エッセイを翻訳し、日本の読者に紹介している。おそらく海外作家のなかでも、あまり知名度のあるほうではないだろうし、彼の小説・エッセイが読める本も日本では知っているかぎり『いずれは死ぬ身』『月曜日は最悪だとみんな言うけれど』『拳闘士の休息』『コールド・スナップ』のたった四冊しかない (人によっては「四冊も」だろうか。確かにこの四冊は日本の読者にとって幸運だろう)。翻訳されているのはいずれも短編小説である。
しかし、日本語訳をしているのがなかなかに濃い面子だとは思わないだろうか。この四人が興味関心を持った作家とは、一体何者なのか。なにより舞城王太郎のファンであるわたしにとって気になるのが、そのトム・ジョーンズの短編のひとつが舞城のデビュー作『煙か土か食い物』と構造が似ていると言うではないか。
という訳で、今回とりあげるのは、岸本佐知子訳のトム・ジョーンズの短編集『拳闘士の休息』(原題 The Pugilist at Rest)より、短編小説「蚊」。
- 作者: トム・ジョーンズ,岸本佐知子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2009/10/02
- メディア: 文庫
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まずは「蚊」の簡単なあらすじを紹介。
主人公ボブはER (緊急救命室) で働く外科医。未婚の彼は「ある夏」、アメリカのヴァーモンドで教師をしている兄クレンドンの一家に居候することになった。居候の目的は避暑だったが、その年のヴァーモンドは猛暑で蚊が大量発生している上、クレンドンの家でボブは腫れ物扱いを受ける。
ボブはクレンドンと折り合いがつかなくなった訳を、その妻ヴィクトリアに求めている。「なぜ兄貴があんな性悪女と結婚したかは俺には謎だ」。クレンドンは妻に虐げられるだけの家庭に疲弊しており、教え子のひとりと浮気をしている。ヴィクトリアもヴィクトリアで何人もの男と関係を持っていて、主人の弟であるボブとも寝ている。クレンドン一家には息子が二人いる (ボブは不倫で出来た子だろうと推察している) が、クレンドンもヴィクトリアも彼に預けてほったらかしにしている。ボブはその誰ともそりが合わない。兄もクレンドンにも家を出ていくように言われる。
このようにクレンドン一家は壊れた (傷ついた) 家庭として描写され、ボブはすっかりヴァーモンドでの生活にうんざりしてしまう。「人間とはつくづく浅ましい生き物だと思う。こんな奴らのけちな命を救うのには飽き飽きしている」という主人公の厭世的な言葉は、彼自身もまた、クレンドン一家のように壊れた、精神的に傷を負った人間のひとりであるからであろう。「クレンドンとクレンドンのボルボ。ヴィクトリアとヴィクトリアのおっぱい。太ったガキども、リッチな暮らし。そういうもの全部に、俺はもう死ぬほどうんざりしているんだ!」。煩わしいヴァーモンドでの生活から離れて、ロビンソン・クルーソーのような自由自適な暮らしを夢見るところで小説は閉じられる。
……あらすじはざっとこんな感じで、確かに『煙か土か食い物』とのいくつかの類似点を発見することができる。二作の類似点を、箇条書きで列挙してみよう。
①主人公がERで働く外科医である
「蚊」のボブはロサンジェルスのERで、『煙か土か食い物』の奈津川四朗はサン・ディエゴのERで働く外科医である。ロサンジェルスとサン・ディエゴはどちらもカリフォルニア州西海岸沿いの大都市で、地理的にも近い。
②主人公が一時的に居候している
③上流階級だが、傷ついて壊れた家庭が登場する
「蚊」のクレンドン一家についてはあらすじで触れたとおり。『煙か土か食い物』の奈津川家も代々政治家を排出してきた名家であるが、 暴力だらけの荒れた家庭として描かれる。
④〈浮気〉が反復的に描かれている
「蚊」にはクレンドンがボブに浮気を告白する場面がある。
次の朝、クレンドンが俺のところに来て、実はヴィッキーは浮気をしているんだ、と打ち明けた。そんな彼女をことは許せないが、同時に妻が他の男と寝ているところを想像すると興奮する、それに自分も教え子とできていて、ヴィクトリアに欲情しないのだ、クレンドンはそうも言った。(『拳闘士の休息』151ページ)
一方、『煙か土か食い物』では、主人公の四郎に友人の高谷義雄 (あだ名ルパン) が浮気を告白する場面がある。
俺はそんなルパンにかまわず自分の興奮を押し止めることに集中しようとするが藪から棒にルパンが「告白するけど、俺浮気してるんや」と言うのでそれもできない。(『煙か土か食い物』28ページ)
「つまり、奥さんの患者に手を付けたってことか」(『煙か土か食い物』30ページ)
クレンドンの妻ヴィクトリアは上流階級出身の人間で「金持ちの家庭で、ちやほや甘やかされて育った一人娘」「月の裏側より冷たい心」であるとされる。たいして、四郎の祖母奈津川龍子は「お嬢様育ちのわがままで気性の荒い」人物であるとされる。ヴィクトリアも龍子も、夫に浮気されている。(これはこじつけかもしれない)
⑤主人公が兄の妻と関係する (④とも関連)
⑥兄が小説を執筆している
……などなど、ここで提示したのは表層的な類似点だが、調べたところテーマ性などでも類似するところがあるらしい。
非常にざっくりと言えば、「蚊」と『煙か土か食い物』はどちらも〈家族〉の物語である。舞城の場合、それを『百年の孤独』『ナイン・ストーリーズ』『チボー家の人々』のようなファミリサーガにまで昇華させようとしているのかもしれない。『煙か土か食い物』以降、舞城は〈家族〉を繰り返し描いてきた。舞城という人は、ひとつの小説のなかで、同じことを何度も手を替え品を替えながら記述するスタイルであると良く言われるが、作品群としてみた場合でも、同じことを反復的に、しかし新たな手法を取り入れながら小説執筆をしている。
おそらく「蚊」は『煙か土か食い物』の数多くある参照テクストのひとつなのだろう。「蚊」を軸として『煙か土か食い物』を読んだ場合に立ち上がるテーマは〈家族〉であるが、別のテクストを軸にした際にはまた別のテーマ性が浮かび上がるのではないか。たとえば同じトム・ジョーンズの短編小説「拳闘士の休息」との関連性で『煙か土か食い物』を見た場合には、ここで挙げたのとはまた別の要素が浮上すると思われる。
オマージュ、パロディ、モチーフ、もしくはパクリ――このような、あるテクストとテクストとの〈類似〉から小説を見た場合に発見されるのは、そのテクストの一面的な要素か、もしくは別々のテクストを恣意的に結びつけようとするその読者の自意識である。
あと、類似点ではないが、「蚊」のなかには少しだけ日本について触れられている。主人公ボブによれば、小説の舞台であるヴァーモンドの町ミドルベリは、エコ・テロリストとも揶揄される環境保護団体グリン・ピースによって牛耳られており、グリン・ピースの宣伝曲がずっとかかっているのにボブはうんざりしている 。
そりゃあ俺だって、イルカの生命は救ってやるべきだとは思う。休漁しない日本の漁船はどんどん撃沈すればいい。ただ、頼むからあのフォークソングだけはやめてくれ! (『拳闘士の休息』、147ページ)
この文章からは『煙か土か食い物』との関連は見い出せそうにないが、一応、「蚊」と日本とを弱々しくもつなぐ一文ということで触れておこう。サウスパークで、シーシェパードに日本の戦闘機がバンザイ・アタックするというブラックな風刺があったが、あっちで日本というとクジラやイルカなのだろうか。
そういえば舞城に関する論文はほとんど参照していないで、ここで言われていること (もしくはここで言われていることを否定すること) は既に記述があるかもしれない。まあ、とりあえずここではトム・ジョーンズそれから舞城について興味・感心が生まれれば良いかと、いちファンとしては思っている。
もちろん、批判や指摘は大歓迎です。